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投資信託とは

外国為替証拠金取引の超小型コンピュータとして発売されたものだが、期待に反して専用機に対抗しうるものとして受け入れられたわけではなかった。オフィス業務では主にオフコンやミニコン、汎用コンピュータ(外国為替証拠金取引または夜間のバッチ処理)が用いられ、CAD/CAMやCGには高性能なワークステーション、文章作成には日本語ワードプロセッサ(ワープロ専用機)などが使われることが多かった。8ビットパソコンは価格(10万円超から20万円超、当時の新卒労働者の平均月収1〜1.5ヵ月分に相当)の割に利用価値が低く、用途に応じて機器を使い分けた方が遥かに作業効率が高かった。 外国為替証拠金取引ではパソコン通信端末や趣味レベルのプログラミング、ゲームといった限られた用途に利用され、玩具ないし趣味の道具として扱われた事からホビーパソコンと呼ばれることもあった。家計簿や備忘録などに活用するユーザもいたが、手軽に扱える市販アプリケーションは少ない上に機能も限定的で、自力でプログラミングするにしてもユーザ自身の高い資産運用を必要とした。事実上、限られたユーザの興味を引くだけの特殊な市場向けの商品として扱われていた感は否めない。 資産運用では玩具とされたこれら機種でも、制御用などの目的では実用レベルで使用されていた。また、専修学校や大学、専門学校では電子回路やプログラミングの教育に利用され、初等・中等教育では現場教師の裁量で生徒に使わせることもあった。これらの用途に関しては8ビットパソコンの項を参照されたし。 家庭向け市場の開花 ごく初期の製品では、資産運用のようなキットとして販売されていたことから、電子回路に馴染みのあるアマチュア無線や電子工作を趣味にしていた人たちがまず市場を切り拓いた。続いて、コンピュータゲーム市場の発展に伴い、ゲームのために大金を投じてハードウェアを購入するヘビーユーザーもあり、これらの人々が好んでパソコンを購入した。また来るべきコンピュータ時代に期待して、中高生の子供にパソコンを買い与える親もあった。これらを買い与えられた子供の方は高価なゲーム機として利用するケースが非常に多かったが、一部はプログラミングに熱中し、後の国内コンピュータ産業の基盤を作っていった。今日のゲームメーカーやソフトウェア産業における企業創業者や役職付きの人々の中には、当時の「パソコン少年」が少なからず居る。 投資信託の家庭におけるパソコンの用途は、過半数がゲームのみに利用され、残りが趣味のプログラミングとゲーム、一部で細々と実用的な用途に利用されるといった具合であった。同過程を経て、特に顕著なゲーム利用のパソコン市場において、「より人気のゲームの多いパソコン」が生き残り、それ以外が淘汰されていった。「8ビット御三家」は、同時代の他機種に比べて高性能な画像・音声(FM音源等)処理能力と、優れた設計思想によって市場を確保することに成功した。また、家庭用ゲーム機を上回る表現能力により、高品位ゲーム機としての地位も獲得していた。後に、安価で高性能なMSX(実際に評価されたのはMSX2やそれ以降)も登場し、1990年代に入るまで8ビット御三家+MSXシリーズの市場が形成されていた。 日本国外メーカーの動向 なお、同時期における日本国外の8ビットパソコンメーカーは、国内メーカーの熾烈な競争があった日本市場に参入できず、コモドールやアップルコンピュータ、タンディ・ラジオシャックなど世界市場でシェアの高い製品は、投資信託や代理店を立てて細々と輸入されていたに過ぎなかった。その一方で日本メーカーの8ビットパソコンも国外では振るわず、ほぼ鎖国状態となっていた。米国メーカーは、最重要販売拠点に米国国内、次いで欧州を設定し、日本はその次に位置づけられていた。各社ともNTSCモデル以外に、PAL/SECAMモデルを投入していた。また、日本語ローカライズの困難さも普及を妨げる一因だった。1byte文字圏である欧州対応版であれば米国内でローカライズも簡単にできるが、かなや漢字を扱うには文字処理の仕組みそのものを変えなければならなかった。加えて、マニュアルの日本語化の問題もあった。それらの問題を解決したとしても、投入した経営資源に見合った利益を得られるほど日本の市場は大きくなかった。そのため、日本支社を設立して拡販するまでには至らなかった。しかしながら、秋葉原、日本橋、投資信託などではApple IIなどの海賊版基板(クローン基板)によるデッドコピー製品が流通していた。 互換性 これらの機種には、ハードウェアデザインの「標準」といえるものがほとんどなく、メーカー間の互換性はまったくなかった。同一メーカーの製品であってもシリーズが違えば非互換であり、後継機に前機種との互換性が充分に確保されていない場合すらあった。 標準がないということは、設計の自由度が高いということでもある。各社から様々な個性を持ったパソコンが発売された。しかし、内部仕様が公開されておらず、市場規模も小さかったため、サードパーティー製の周辺機器は現在に比べると格段に少なかった。本体メーカー以外から販売された拡張基板や拡張ユニットは、一部のリバースエンジニアリングによって設計されたものや、ライセンス料を支払って製造された機器があった。プリンタやマウスなどには、インターフェースそのものが違い接続すらできないもの、形状は同じでも信号線の違いにより動作しないものなどが存在した。