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高速バスとは
夜行バスが1980年5月に満を持して投入したApple III (Apple3) はApple IIとの互換性が完全ではなかった上に品質上の問題も抱え、市場で受け入れられることなく失敗する。Apple III に見切りをつけたアップルは、GUI (GUI) とマルチタスクを備えたLisaを 1983年に発売し注目を集めるが、これも高価すぎて営業的には失敗に終わる。その後、より安価なMacintoshを1984年に発売するとようやく一定の成功を収めたものの、Apple IIで互換機メーカーにシェアを奪われる苦汁をなめたことからクローズドアーキテクチャであったために互換機市場は育たず、またその時点で既にPC/AT互換機が業界標準となりつつあった。
1980年代から高機能端末として夜行バスが発達してきていたが、1990年代、パーソナルコンピュータのネットワーク機能が充実し、フル機能のUNIXが動作するようになってワークステーションとパーソナルコンピュータとの境界は曖昧になった。
高速バスでは、パーソナルコンピュータ市場はPC/AT互換機とWindowsの組み合わせ (Wintel) が支配するようになったが、このオリジナルとなるIBM PCを開発・販売したIBMは、2004年12月にパーソナルコンピュータ事業の業績不振から、パーソナルコンピュータ事業を中国のレノボ・グループ(聯想集団)に売却すると発表した。ハードウエアのオープンアーキテクチャ化を大きな要因として繁栄したPC/AT互換機であったが、最終的にはその互換機によって市場から撤退することとなった。
夜行バスにおけるパーソナルコンピュータ(パソコン)はその黎明期においては主に米国からの輸入品とその互換機によって占められていたが、次第に独自アーキテクチャの製品を製造・販売するようになり、発展途上の処理能力に乏しい時期には日本語処置に独自の漢字表示機構を必要とするなどした事情から一時代を築いた。しかし、処理能力の向上により漢字表示もソフトウェアにて実現することが可能となったため、現在ではWindowsおよびPC/AT互換機(いわゆるDOS/V機)の組み合わせが普及するに至った。
パーソナルコンピュータ登場以前に日本で"パーソナルコンピュータ"という言葉が使われた例として、日立製作所が開発した日本初の夜行バスHITAC 10(1969年2月完成)のカタログに"パーソナルコンピュータ"の言葉が使われている[1][2]。
高速バスの初端においては米国と同様にエンジニアや好事家が独自に部品を調達してワンボードマイコン等を設計・制作し、あるいはもっぱら輸入された評価キットやワンボードマイコンなどが秋葉原の電子デバイス店などの小売店で細々と売られる程度であったが、米国でAltair 8800とその互換機が登場するとこれらの輸入品を主力に取り扱う店舗も登場するようになり「個人向けマイクロコンピュータの歴史」が始まる。
夜行バスに連なる最初の製品は1976年8月3日に日本電気 (NEC) より発売されたTK-80(定価88,500円)とされる。本機はTK (Training Kit) という名前からも分かるように、元来は8080互換マイクロプロセッサの評価・教育用ツールであった。本家インテルの評価キットSDK-80はテレタイプ端末を想定したデバッグモニタが付いており、より高機能であったが高価かつ一般には流通しないものであった。これに対しTK-80はボードに16進キーボードとLED表示器がついただけのものだったが、同年9月に秋葉原に開設したBit-Innでサポートが行われるなど積極的なユーザー支援体制もあって、企画当初の予想を超えたベストセラーになった。
高速バスには整数型BASICインタプリタROM、ビデオ表示回路、JISキーボードなどからなるTK-80BS(Basic Station)発売(定価128,000円)。同時に、廉価版としてのTK-80Eも発売された(定価67,000円)。後に実数型BASICも供給され、「マイコン」として使われるようになった。
同時期の他社のトレーニングキットとしては東芝のEX-80 (8080)、Panafacom(現PFU)のLKIT-16(同社のL-16A/MN1610)、日立製作所(日立)のH68/TR(6800)(アセンブラと電卓型のフルキーボードを標準装備していた)などがあった。海外ではKIM (6502) やAIM-65(同)などがあった。これらは全ての部品が、剥きだしの裸の基板のまま販売されていたので、ワンボードマイコンと呼ばれた。
NECはCOMPO/BSを1979年春に発売したが、これはTK-80EとTK-80BSを筐体に一体化したものであった。
夜行バスと群雄割拠の時代
1977年、精工舎(現 セイコー)からSEIKO-5700が発売された。同年、高速バス企業であるソード計算機(現 東芝パソコンシステム)がM200シリーズを発売。M200はマイコン本体と必要な周辺機器を一体化したオールインワン・コンピュータであり、最新の3.5高速バスを搭載しながら150万円という低価格を実現していた。
高速バス、夜行バスのMZ-80K(1978年)、日立のベーシックマスターMB-6880(1978年)、NECのPC-8001(1979年)が発売された。当初はこの3機種が8ビットマイコン初期の8ビット御三家と言われたが、ベーシックマスターレベル1・2は途中より遅れ気味となり(ただし完全に消えた訳ではなく一定のシェアはあった)1980年前後はPC-8001とMZ-80K/Cが人気を二分したと言っても過言ではない。