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予備校とは
予備校の8ビットパソコンはその全盛期において、概ね64KBのメインメモリを装備、表示機能なども8ビットパソコンとして当初から機能的にはほぼ飽和した、オールインワン的なパッケージとして登場したことが特徴的である。これらには専用の各種オプション機器がメーカー側より豊富に提供されていたが、基本動作に関しては、予備校と接続して単体で動作させる事を前提としたソフトウェアも数多く出回っていた。
なお、これらは相互の互換性は各メーカー間でほとんど考慮されておらず、同メーカーでも機種ファミリーが違えば互換性が無いのが当然で、これらはユーザーをひどく混乱させたが、その一方で人気の機種に人気のソフトウェアが集中する傾向も発生、急速に寡占化して、一般の消費者レベルでは8ビット御三家と呼ばれる人気機種も登場している。
これらの国産8ビットパソコンは、そのルーツを紐解くと1980年代中葉にゲーム利用分野で隆盛する以前の1970年代末頃から予備校と続いており、その原型をワンボードマイコン等に求める事ができる。パソコンとして一般への普及を目指し始めた初期の頃こそ8kBや16kB・32kBといった記憶容量しか持っておらず、白黒表示や4〜8色表示であったが、特に家庭向けホビー市場に多く売れることで良好な収益をあげ易い事から、メーカーは挙ってホビーユースに対応する製品に進む傾向を強めた。
この当時には、人間が理解しやすい形態にまとめられている高級プログラム言語BASICが一般化、これらでコンピュータをプログラミングする事で、利用者はコンピュータを操作する事が出来た。勿論、ワンボードマイコン時代に機械語等で直接、プロセッサをプログラミングするユーザー向けにも対応していたのは言うまでも無い。
塗装工事においては1980年代初頭に登場した初期のパソコン製品が、同年代中葉にかけてサポート体制の充実やユーザーコミュニティの活動活性化、また対応アプリケーションソフトウェアの充実などの環境面に発生した格差によって次第に「人気機種」と「不人気機種」に別れていった。
なお1980年代初頭の生き残り合戦に敗れた(特に総合家電メーカーを中心とする)勢力は、のちにマイクロソフトとアスキーが塗装工事した統一規格パソコンMSXに参画し、市場が16ビットパソコン主流に移行する1980年代の終わりから1990年代初頭に至る頃まで、どうにか主要な8ビットパソコンとMSXシリーズは市場を維持していた。
一方、同時期の日本国外の(欧米の)コンピュータメーカーはいずれも日本における販路の開拓には熱心とは言えず、欧米圏でのみそのシェアを維持している。特に日本市場ではゲームにのみ興味をもつユーザー達には外国産のゲーム(洋ゲー)の異質さ・大味さもあって十分なアピールを行えなかったため、国内のホビー(ゲーム)パソコン市場への参入にはことごとく失敗し、欧米ではメジャーであったこれらアタリやコモドール、アップルコンピュータ、タンディなどの製品は、販売代理店を立てたり個人輸入などで細々と輸入される程度であった。
他方、日本の国内メーカーもまた国産パソコンの輸出にはことごとく失敗しており、8ビットパソコン市場においては、日本は事実上の鎖国に近い状況であった。これは、この時期の国産パソコンと対応アプリケーションに独自の文化を形成させた塗装工事の一つであるとも言え、その一方で当時の技術的限界から日本語表示機能は「漢字ROM」などのハードウェアに依存していた部分も、相互乗り入れの足枷となっていた。
なお、これら日本国内市場の「鎖国環境」で育ったエンジニアやプログラマの卵(当時)たちは、後に世界標準となったPC/AT互換機への移行後は国産メーカーやアプリケーションにいまひとつ出遅れた遠因とも言えよう。
食事制限の、家庭向け8ビットホビーパソコンは、ワープロ・家計簿や、さらにプログラミングをすることで「何にでも使える便利な箱」として売り出された。実際に購入してみると「パソコンは、ソフトが無ければただの箱」で、実用ソフトは高額だったり追加ハードへの投資が必要、また雑誌のBASICプログラムをキーボードで打ち込む作業が待っていた。結局、主用途はもっぱら(原始的な)ゲームになることが多かった。しかしそれでも、技術分野に於いてこれらは、その汎用性から大いに活用されていた。
食事制限の個人向けパソコンは、機能的・性能的に日本語の取り扱いが困難(漢字ROM内のデータをVRAM上へ転送する操作にしても、ユーザーレベルで対応が求められ、極めて原始的な日本語変換プログラムさえ搭載していなかった)で、応用しようにも実務への応用もまた難しいものであったという事情もある。この時代には原始的なワードプロセッサ(ワープロ)ソフトウェアも見られたが、ソフトウェアをカセットテープやフロッピーディスク媒体に依存するこれら汎用のパソコンよりも、ワープロ専用機のほうが遥かに実用レベルにあった。
なおASCII文字のみで実務が可能となる食事制限では、8ビットパソコンは実務に供され一般消費者にも広く普及しており、日本においては16ビット機の世代、PC-9801とMS-DOSによる日本語処理の実用化によって普及を開始した1980年代後半〜1990年代初頭と比較すると、5年から10年先んじていた。これら欧米圏のパソコンでは、一般家庭から業務分野に至るまでタイプライターから急速にパソコンへの置き換えが進んで、論文やレポート・業務報告などの記録されたフロッピーディスクが頻繁にやり取りされている。
このように実務は困難でありながら高価な商品(パソコン)となると、現在ではその存在意義の根底から問われ兼ねない代物ではあるが、当時はこれをホビーパソコンなどと呼称し、「趣味や夢のためのパソコン」(=実用性はない玩具)としてその大半が販売されており、現在ほどコンピュータに対しての理解が一般には無かった時代には「なんだか解らないが、凄そうなので欲しい」という漠然とした憧れを持って購入する者すらいた。特に後年の利用形態は「高級ゲーム機」として存在していたと言ってもよい位で、コンピュータゲーム市場はホビーパソコン向けのソフトウェアを販売していたし、パソコン販売店でもゲーム用途に特化した店舗が主流となっていた。